- ホーム
- BLOG
ブログ
2025/06/29 15:00
異国から見た琉球 ― 大航海時代、海の交差点に咲いた信義の国
帆を張った船が南の海を行き交い、金や香料、絹、陶磁器が交換される「大交易時代」。
そのちょうど真ん中、東シナ海の青い海に浮かぶ島々に、静かに、けれど力強く息づいていたのが琉球王国でした。
琉球は、武力ではなく「信義」と「誠実」で人と人を結ぶ交易国家と考えられていたようです。
海を越えた国々の目には、この小さな国はどのように映っていたのでしょうか。
ポルトガルから見た琉球 ― 利益と力の時代に現れた“信義の商人”
アフリカからインド洋、マラッカ、そして中国へ――。
航路を制し、香辛料と富を求めて東へ進出したポルトガル。
交易の覇権を握るためには、時に武力も辞さなかった彼らにとって、琉球との出会いは新鮮な驚きだったようです。
ポルトガルの文献には、琉球についてこう記されています。
「彼らは世界と引き換えにしても、自国民を売らない。
奴隷を買わず、服装は洗練され、白い肌と誇り高さを持っている。
そして、何より正直だ。」
“力”が価値を決める時代にあって、
“信義”によって国を成り立たせていた琉球は、まさに異色の存在だったのかもしれません。
*写真:1595年のジャワ・スマトラ周辺地図(オランダ由来)海図にはマラッカの港湾が明記されており、その航路を延ばせば中国・琉球方面への航海ルート
琉球は、巨大な軍隊も広大な領土も持たない国でした。
けれどその小さな島々は、海を越えて信頼を結び、文化を交わし、道義を貫くことで、
アジアとヨーロッパのあいだに“静かな尊敬”を築いていたのです。
奴隷制度が横行していた時代に「売らない」「買わない」「だまさない」――
そんな当たり前のようでいて、実はとても難しい姿勢を貫いた琉球は、
海の向こうから見れば、“信義の国”として確かに輝いていたのでしょう。
余談:西と東の端っこで
今の沖縄とポルトガルは、地球のほぼ同じ緯度に位置しています。
どちらもユーラシア大陸の西と東の端っこで、海に向かって開かれた国。
異なる文化を受け入れ、風に乗って外とつながる、その姿勢にはどこか通じる空気があるようにも感じられます。
歴史の中の琉球を想いながら、そんな地図の端っこどうしの「共鳴」にも、しばし心をめぐってみるのも楽しいです。
本日も、どうもありがとうございました。